ただの否定や批判からは何も生まれない
どんな人でも何かに挑戦したり行動して、失敗した経験があるだろう
最近はそんな誰かの 失敗に敏感に反応 して、
批判 する人達が増えた印象があります
そんな失敗に対して、 ”自分が気持ちよくなりたいだけの批判” は決してしてはいけない
ただの批判ではなく、 相手が受け取りやすい意見 を投げかけていこう
そうすることで、失敗から成長する機会やきっかけを提供できる
それでなくても価値観の違いによって、物事1つ取ってもいろいろな意味付けができる
自分中心の批判の仕方が失敗から成長する機会を失わせる
第三者による批判が増えている現状
最近、テレビやインターネットを通じて拡散される情報に対して、批判している人達をよく目にする
メディアに露出する有名な人達は世の中に顔を知られているから、良くも悪くも報道され、情報が拡散する
そのような報道の力を借りて、 有名になってこそ成り立つ仕事 だから
多くの人に情報が出回ること 自体は仕方ないかもしれません
有名なために、一般人よりも悪い情報も出回りやすいのは確かだろう
そんな人達でも 失敗 はする
— 失敗と成功 記事は↓の画像をクリック —
人間である以上、完璧はありえない
そして私は、 人間が常に正しい行動が取れる訳ではない ことを知っている
そのときどきの状況、心理状態、周りの環境、人間関係、など、人間はいろいろな要素によって、考え方や行動が影響されることを前提としなければならない
同じ人間でもそんな要因に左右されて、違う決断・行動をしてしまうことがある
悪い行いを擁護している訳ではない ことは、はっきりと伝えておきます
実際には、何か失敗をしたとき、それに対するアフターケアが必要になってくる
そして最近の傾向は、その失敗事態を批判し、アフターケアに関してもあらを探すように批判する
そのようなコメントや書き込みが匿名で行われることが常態化している
自分に関係ないから批判しても良いという風潮
例えば、 “スポーツ選手が大事な試合で失敗してしまった” という報道があった時に、それを聞いてあなたはどう思うだろうか?
それが日本代表戦だったとき、大きな看板を掲げて世界で戦っている以上、失敗するよりは成功して欲しかったという思いは、ほとんどの人が持ち合わせてしまう感情だろう
人によっては、 “プロなんだからそんな失敗するなよ” と、考える人も一定数存在するかもしれない
好きでも嫌いでも、その対象・相手に対して興味があるから、相手への行動を起こす
— 好き嫌い 記事は↓の画像をクリック —
逆に全く興味がないのなら、批判すらしないのが人間だ
だが、第三者が簡単に何でも批判して良い訳ではない
失敗したり悪いことをすれば批判されるべきだと考える日本人が多く、関係ない第三者が批判だけすることに、私は違和感を覚えている
- そもそも、批判することが目的となっている
- 自分が安全な場所にいるから簡単に批判できる
- 今現在、自分に関係ないから批判している
あなたはこのような批判をしていないだろうか?
本当にそれでいいのだろうか?
相手の立場がどのようなものなのかを考える癖を日頃から持ち合わせていれば、相手の状況への理解度は高まるはずだ
そうすれば、簡単に批判しようとは思わないはずだ
自分に関係ないから失敗した・悪いことをした人を簡単に批判して、 自分が気持ちよくなろうとする心理は、少なくとも相手の気持ちに寄り添った行動ではない だろう
批判されて当たり前という価値観はすぐにでも捨てなければならない
物事を正す意見 と ただの批判 は、
天と地の差があることをまずは理解しよう
≪ Point ≫
・人間は常に 正しい行動 が取れる訳ではない、 失敗 もする
・熱意があるほど こだわりも強くなり、批判しようとする心理も生まれる
・ただの批判は 自分が気持ちよくなるためだけの行動 でしかない
自分と相手の価値観のすり合わせとお互いの成長の意識
意見と批判の境界線
明らかにただの批判と呼べるような言い回しは、私は論外だと考えている
それはただの悪口でしかなく、発言に重みも全くない場合が多いからだ
その上で、相手に対して伝え方があることも前提としたい
そして、導き出す答えが1つだと限らないこともある
それだけ色々な考え方がある 複雑な世界 が私たちの社会を作っている
— 複雑な現実 記事は↓の画像をクリック —
他にも、結果が分かったから言えることがある場合もある
物事は何かをやり遂げたり、何かが起こってしまったときに結果として形が出る
考えていた通りの結果 が出るとは限りません
それは 良くも悪くも 起こり得ます
考えていた通りに結論が出るとは限らず、それは良くも悪くも起こり得るだろう
行動してみないと始まらないことや、行動してから推測できなかった結果が出ることも十分に有り得る話だ
つまりは、 結果を知っているからそれに対して意見ができる状態 になっているという理解は一定数必要になるはずだ
それを当然のように上から目線で、批判することもはっきり言って意味はない
根本的な考え方の違いもありえる
そもそも、人それぞれ性格の違いから、批判に対する価値観も違うかもしれない
というのも、あなたは人に批判や否定されたとき、どう思うだろうか?
- 批判や否定されるのが嫌い : ①
- 批判や否定をエネルギーにできる : ②
のように、大きく分けて二つに分かれるだろう
もし、②のような考え方をする人ならば、 “批判や否定が人間を成長させる” と考えてもおかしくない
このように根本的な価値観の違いは存在するだろう
今回の場合、精神的な強さや本人にとっての当たり前の幅が違いを形作る
ちなみに私は、 幼少期に理不尽な思いをしてきた人 ほど、
相手の攻撃から 自分を守れない 印象が強いです
価値観の違いに関しては、どちらが正しいかということは無く、どちらの考え方も存在するだろう
大事なのは、どんな考え方が相手の成長に繋がるか という視点を持てるかどうかだ
自分の価値観をただ押し付け、 相手への配慮 を欠いてしまえば、自分と相手が成長する機会を失う
— 気遣い・思いやり 記事は↓の画像をクリック —
逆に、自分と相手の違いがあることを分かっているだけで、あなたがこれから取るべき選択肢の幅は大きく広がるに違いない
≪ Point ≫
・結果が形になっている状態 での上から目線の意見・批判は、 後出しジャンケン でしかない
・価値観の違いによって、物事1つ取っても 意味付けの仕方 が変わる
・大事なのは自分と相手の 価値観のすり合わせ と、 成長の機会 を作ること
どんな人でも失敗するから、成長へと導くのも人間
そもそも、物事を何もないところから問題視するのは非常に困難だ
きっかけ があるからこそ、その物事に焦点を当てて、良いか悪いかを考えることができる
その上で、批判ではなく意見を述べるようにしよう
また、受け取り方にも注目する必要がある
どちらにしても、ひとりの人間として相手が存在することを理解し、時には失敗を許容する必要もある
なぜならば、大前提として 人間は失敗する生き物 だからです!!
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