
人と人が関わりを持つ上で、相手とどのようなコミュニケーションを取りたいかは非常に大事になってくる

事実、 いろいろな価値観 を持っている人が存在するので
自分と相手の相性を計ること は必須です!!
一緒にご飯を食べる異性の相手に対しても、やはり相性が大切になり、何を重視するかは人それぞれである
違いがあって当たり前だからこそ、相手を尊重しながら自分の考えを示していかなければならない
相手を簡単に否定せずに、心地よい関係性を目指していかなければならない
実際に、 女性はお金と手間がかかる・男性もお金と手間がかかる という双方の意見は正しい
人間は感情の生き物だから、相手に対する気持ちの上で準備の仕方は変わってくる
それならば、可能な限りしっかりとした準備をして臨もう
どちらにしても、 ご馳走する側の品格とご馳走される側の品格 をお互いがしっかり持って、気持ちの寄り添いの上で楽しく食事をしてほしい

重要視する価値観に違いがあって当然なのが人間の特性

人それぞれの考え方の大前提
あなたは最近だれかと遊んだり、食事をしただろうか?

遊ぶ経験は 人間力を成長させて くれる上に、
精神的にも充実感を与えて くれます
そして、人が人と関わりを持つ上では、自分と相手の相性を判断することは重要だ
以前、 “男性がデート代を奢るべきなのか” という論争が取り立たされたが、人それぞれ考え方が違うから、いろいろな意見があって当然である
それが ひとりひとりの人間 の特性の一部であり、 自分にとって何が正しいのかは自分で決めていい ということは前提にしなければならない
だから、1つの考え方に対して簡単に批判するという行為自体は、あまりよろしいものではない
むしろ、あなたと違う考え方をする人に対して、 “そんな考え方もあるのか” という視野を広げる受け取り方をしながら、相手の考え方を一定数尊重しなければならない
それを感情の部分で許容できるかできないかが大切だ

相手を尊重 した上で、 自分の考え方が違うこと を示し、
自分はこのような人間だということを表面化しよう
実際には、相性が悪いと思ったら距離を取ることも必要になってくるだろう
だが、自分の考え方を正当化するためだけに、考え方の違いを全面的に否定するのではいけない
考えの違いがある現状を受け入れていかなければならない
いろいろな考え方があっても良いと受け入れることがスタート地点に立つ考え方となる

食事に行くメリットは人それぞれの判断による
デートに対する価値観も人それぞれだろう
2人の関係性によっても、デートの概念はさまざまな形がある
例えば
- ご馳走してくれない人 と食事には行きたくない
- 自分で食べた食事代はある程度 自分で払いたい
というように、食事1つ取っても間逆の価値観があって当然だ
とは言え、誰でもいいからとりあえず食事に行くという考え方は割と少ないかもしれない
その人と食事に行くのは恐らくお互いが何かしらのメリットを感じていると思う
- 一緒にいる時間が 楽しい から
- 自然体 で接することができる相手だから
- 相手が イケメン・美女 だから
- 食事を 全てご馳走してくれる から
などの考え方があると思うが、大前提として、嫌いな人とはできるだけ時間は共有したくないはずだ
“相手がイケメン・美女だから” とか “全てご馳走してくれるから” という理由は、一見、相手を利しているだけと思われがちだ

それでも、容姿や経済力をメリットとして示すことは
その人にとっての武器 になるから、一概に 何でも否定するべきではありません
それをきっかけにして、相手への気遣いや自然体な自分をしっかり相手に示し、 一緒にいて心地よいと思ってもらえるような心理状況 へと繋げることが大事だ
最初のきっかけが容姿や経済力だとしても、その後の寄り添い方によって関係性が変わっていくことがあるというのが私の考え方だ
それ以外にも最悪、ただの暇つぶしだと相手に思われていたとしても、その先を目指して頑張ればいい
それに関しては誰かに指摘されたり、 否定 されたり、 批判 されるべきではない
確かに
- ご馳走してもらうことが前提 であるのはおかしい
- ご馳走すらしてくれない相手 とはデートなんかしたくない
など考える人もいるが、人それぞれ重視したい部分には違いがあるから、自分でしっかり決めて良い部分である
≪ Point ≫
・生まれ育ってきた環境/重視するべき考え/現在の自分の立場など、 違いがあって当たり前
・ひとりひとりの正解がそこにあるから、 相手を尊重しながら自分の考えを示す
・メリットの提供の仕方はそれぞれだから、 簡単に相手を否定しない
・きっかけを大切にしながら、その先の 心地よい関係性 を目指す

奢る・奢られる行動が必ずしも価値を示すものではない

女性も男性もデートのために準備している現実
私が思うに、女性がデートのために手間とお金がかかっているというのは、半分正解で半分が間違いだ
というのも
- 大事なデート なら、コストもかけた上で念入りな準備をして臨む
- ある程度どうでも良いような ただの食事 なら、そこまで下準備もしない
という現実は存在する
これに関しては人間の感情の部分の話になるから
- この人が相手だから できる限りの準備 をして臨みたい
- この人が相手だから そこまで準備しなくてもいいか
と考えてしまうのは当然で、人間は多かれ少なかれ人によって対応を変えてしまう生き物であることは、あなたにも分かっているだろう
逆に言えば、全ての人に100%の対応をするのは無理な話だ
ただ、1つだけ重要なのは、そこには ”女性だから・男性だから” という概念はないだろう
女性も男性もひとりの人間だから、双方にしっかりデートの準備をする価値観は併せ持っている
以前何かの形で、
- 女性だから お金や手間がかかる
- 男性だって お金や手間がかかる
という論争を目にしたが、私が思うに双方の考え方はどちらも正解だ
そして、人それぞれどのくらいお金や手間をかけれるかもさまざまだ
- たくさん稼いで 経済的な余裕 があるならば、お金をかけることができる
- 自分の時間をしっかり確保できる人は 時間的な余裕 があるから、手間をかけることができる
というようなその人の背景によって、どこに力を入れるかは変わってくる
逆に生活が厳しくてそれほど余裕がない人だって存在するが、だからと言ってそれが悪いということでもない
大事なのは、 可能な範囲でしっかり準備すること である
それも含めた上で、自分と相手の価値観やタイミングがマッチしたとき、お互いに何かの感情が生まれるから、それが相性だ

自分の価値観を 誰かに当てはめて 考えようとするから、
否定・批判 へと繋がってしまいます
自分だけの目線に執着することなく、相手への目線も知ろうとする努力があってこそ、円滑なコミュニケーションへと繋げることができる現実を認識してほしい

奢られる人は価値のある人なのか
人間の特性上、だれかにご馳走することに価値を感じる人とそうでない人はいるだろう
というのも
- 誰かの 喜ぶ姿 を見たくてご馳走する人
- 年上だからご馳走するのは 当たり前 だと考える人
- プライド が先行してしまう人
など、他にもいろいろあると思うが、ご馳走に関してもさまざまな考え方がある
逆に
- 誰かにご馳走することが 経済的に難しい人
- ご馳走すること自体に 抵抗がある人
“ご馳走された・されない” という事実が、相手への価値を決定付ける要因には必ずしもなり得ないから、注意が必要だ
それよりも、相手があなたに対してどのような気遣いをしているか、あなたを大事にしているかという 感情面が言葉や行動に現れる から、そちらに注目すべきである
だが、人間である以上ご馳走することに関してメリット・デメリットを考えてしまうのは仕方ない部分もある
例えば
- 異性特有の下心 があってご馳走してくる人
- 奢ってやったからと、何か 見返りを求める人
など
そのような価値観も数多く存在するはずだから、そこには注意が必要になる
奢られることに自分なりの意味を見出し、相手をしっかり選ばなければ、最終的にあなたが損害を受ける場合もある

ちなみに私は、 下心や見返りの感情 で
誰かに御馳走するのは違うと考えています
先に損をしておいて、後から自分の利益を大きく追求する行為は、 自分の利益を最大化したいだけ の自分にしか視点を向けていない行為だ
ちなみに、私が誰かにご馳走するときは、何の見返りも求めずに ”ただ相手の喜ぶ顔が見たくてご馳走する” ようにしている
ただし、もちろん誰にでもご馳走するわけではない
私が ”誰かの喜ぶ顔を見るだけで自分も幸せを感じるタイプの人間” だからという理由もあるかもしれない
それでも、少なくとも奢られて当たり前だという姿勢を示す人には、もう一度ご馳走したいとは思わない
奢る側にも品格が必要だが、もちろん 奢られる側にも品格は必要だ
自分は奢られて当たり前な存在だという考えは、自分の品格を自らが落とし相手を不快な気持ちにさせるだけだ
そうやって人と人のコミュニケーションの延長線上に ”奢る・奢られる” という形が存在しているので、お互いが寄り添う気持ちは必要不可欠だ
それがないと、 “どちらが得をするか・損をするか” という価値観でしか相手を見ることができなくなる
それを理解した上で、気持ちよく奢る・奢られるという関係性を構築すれば、双方の立場が大きな価値を見出せる
表面的な価値に囚われることなく、気持ちに寄り添った価値を認識・実感することで、私たちは大きな幸せにたどり着けるはずだ
≪ Point ≫
・お金や手間をかけるかどうかは、 気持ちの上での準備の仕方 によって変わる
・大事なのは 可能な範囲でしっかり準備しようとする姿勢 である
・ご馳走してもらえたかどうかだけで、 大事にされているかどうか はわからない
・奢る側の品格と奢られる側の品格 を知って、気持ちの寄り添ったコミュニケーションを心がける

平行線の議論はお互いを寄り添う気持ちが欠如した状態
奢り・奢られ論争については、まずさまざまな価値観の人がいることを前提にしなければならない
人間の特性に違いがあることを前提 としなければ、お互いの価値観を理解しようとするのは難しく、議論も平行線のままで終わってしまう
考えが似ているときは共感を、違いがあるときは新しい価値観の発見として認識しなければ、相手に寄り添うことは難しいままだ

自分の考えが 全ての人にとって正しい
という目線は捨て去りましょう
物事を柔軟に捉えることで、お互いが成長できる認識をしてほしい



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