
叱る人の変化と叱り方の変化
私達は、子供のときから叱られて育ってきた
昔は、いろいろな人から叱られた記憶がある

自分の親、近所のおじさん・おばさん、学校の先生、友達の親など
昔は、 他人にも叱られたり注意された なあ
だが、最近は自分の子供に対して叱る姿は見るが、他人が子供を叱っている姿を見たことはない
だが、その分だけ怒鳴り散らしたり、手を上げて叱られることは少なくなっただろう
- 叱り方の本質は、 叱られた人間への気づきや成長のきっかけ の提供にある
- 叱る側の都合によって叱っても、叱られる人間への成長には結びつかない
だからこそ、叱るという行為は ”人間力” が必要だ
その際に注意が必要なのは、叱られている人間への精神的な配慮だろう

過去から現在までの間違った叱り方

子供への叱りが必要な理由
叱りは、基本的に ”立場が上の人が下の人” に対して行う
人間は常に完璧でないから、何か間違いを起こしたときに叱るのである
まして子供なら、完璧でいられるはずはない
子供のうちは、いろいろな失敗から物事の良し悪しや本質を学ぶ期間である
だから、 失敗してもいい失敗をどんどんして 、そのような経験を学びに繋げる
だが実際は、子供は自発的に失敗しても、学びにできないことが多い
なぜならば、子供のうちは、視野がそれほど広くはないからだ

教育者を含めた周りの大人ひとりひとりが
子供達へ 支援や気づきのきっかけ を提供できれば良いね!!
だが最近は、モンスターペアレントなどによって、他人や学校の先生が子供を叱りつけることが難しくなった
これは、叱られた意味に目を向けず、叱られた事実だけを認識し、 ”なぜ関係ない人に叱られなければならないのか” と、考える大人が増えたからである
私が子供のときは、先生が子供の頭を叩いていたこともあった
親も、 “子供が悪いことをしたら叩いてでも教育してください” という親が多かった
頭を叩く行為自体は良くないことだが、叱りが必要なときはやはりある

叱る側の都合を優先した押し付け
現在は、子供が教師に叩かれようものなら、すぐに親が飛んできて体罰だと騒ぎ立てる
ただし、私はそれが全て悪いとは思わないし、一理あると考える
というのも、その教師が
- 子供の成長のために愛情を持って叱っているのか
- 問題が起きないように教師自身の保身のために叱っているのか
によって、叱り方の意味が違ってくるからだ
子供の成長を意識した叱り方が、本人にしっかり伝わらないのであれば、叱る意味はない

逆に、相手にしっかり言葉で伝えることができれば
頭を叩くなどの暴力は必要ありません !!
その一方で、日本は昔から叱ることを良しとしてきた
というより、 ”しっかり叱らないと子供のしつけに良くない” とさえ思われてきた
“子供は叱りつけて成長するものだ” と、考えられてきたのだ
ちなみのこの風潮には根拠はなく、 ”そういうものだから行われてきた” だけだ
これも、叱ることが目的となっている考え方である
このときの多くの人の感覚としては
- 自分都合で 相手をコントロールしたい 心理が働く
- 弱い立場の人へ威圧的な態度で強要しようとする
- 叱る行為そのものが目的となっている
など
立場が上の者・力が強い者 が、自分の立場や保身を理由に叱っている現実があったし、現在もそれが続いている
- 自分が強者だと周りに示す
- 面子を保つために叱る
- 舐められないようにとりあえず叱っておく
※ このような叱り方は、面倒を避けるために叱っているだけで、脅しているのと同じだ
子供に “力でねじ伏せる価値観” だけが残り、安心感の育成に繋がらない
その場しのぎのために ”仮に言うことをきいた” としても、本心では反発している
子供自身が納得していないからだ
このように、相手のために叱れない人が多い上に、現在は叱るためにも資格がいるようになってしまった
“子供に直接関係ある人しか叱るのは許されない” 空気感が、でき上がった
≪ Point ≫
・子供は周りを見渡す視野よりも、 自分を見つめる視野 のほうが傾向が強い
・叱りが相手のためではなく、 自分のためになっている ことがある

叱りとは相手への気づきの提供

誰に対して叱るのかを考えれば誰のための叱りなのかを確認できる
では、しっかり叱るとはどういうことを意味するのか?
私は、叱るという行為には注意点があると考える
- 叱るという行為は相手への気付きのきっかけの提供である
- 相手に対してできるだけ負の感情を植え付けないよう注意する
- 相手が自発的に考え、行動に繋げるための支援を目的とする
- 叱る行為によって恐怖を感じさせてはいけない
このような感覚で、相手の 納得 や 気づき を与えてこそ、叱るという意味が深まる
— 納得 気付き 記事は↓の画像をクリック —
そんな支えを周りの大人がしていかなければならない
だから、私にとっては “叩いたり強要すること” が叱るという意味にはならない
また、叱ることで相手をコントロールしようとも思わない

上記の行動は 本当の叱り ではありません!!
それは 叱りを利用した押し付け でしかありません
きっかけを提供できれば、子ども自身が自分で考えて結論を出す力の育成に繋がる
失敗や壁にぶつかったとき、どうしたら良いのかを、自らが答えを出せるように支援するのが目的だ
そう考えると、精神性の高い大人が周りにいたほうが、子供にとっても大きな学びに繋がる
だが、最近は自分の事だけ考えている大人が異常に多い

今の大人たちが子供だったときに
周りに 考えるきっかけや気づきをくれた人 が、いなかったのかも
そう考えると、自分がしてもらえなかったことを、誰かにするのは難しい
人間の意識は世代間の連鎖が伴っていると私は考えている
これに関しては、周りの環境に左右されるのだから、自己責任では決してない
人間は分からないことに意識を向けることがそもそも難しい生き物だから、自己責任という単純な言葉で片付けるのは乱暴だろう
良い連鎖ができ上がるまでは、しばらくこの状態が続いてしまうのかもしれない
できるだけ早く、この状況をたくさんの人に気付いてほしい
“子供の成長に結びつける叱り方” は、置き去りにされた状態だ
だが、この叱るという行為は、誰のために行われているのか?
だれに注目した叱り方なのかによって、その意味が変わってくることをしっかり理解してほしい
その上で、相手に伝わるようにしっかりと叱る必要がある
≪ Point ≫
・叱られた人が気づきのきっかけを受け取り、 自発的に考えや行動に反映 させなければ意味がない
・誰に対して叱っているのかを考えて、 相手のための叱り であることに気付く

叱られた瞬間は素直になれない
叱られた瞬間は、自分の失敗や間違いを表面化させられて、素直に受け取れないことが多い
私も、叱られて恥ずかしくなったことがたくさんあるし、反発してしまうことがある
人間は感情の生き物だから、叱られている最中は良い気分がしないものだ
それだけに、できるだけ相手の気持ちに寄り添った叱り方を実践し、相手が受け取りやすい環境を作ってあげることも必要だ
それでも、そのときは素直に受け取れなくても、少しずつ叱られた意味と向き合う時間を取って欲しい
その上で、自分の考えや行動に反映させてほしい
逆に言えば、 自分のために叱ってくれない人の叱りをそれほど意識する必要はない
”自分のための叱りなのか相手のための叱りなのか” を、しっかりと判断する目をぜひ獲得してほしい



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