自分だけに焦点を当てた発言は、ときに誰かを傷つける
具体的には、“なんであんなに美味しいものが嫌いなのか理解できない” “あんなものが好きだなんて変わってる” “~が嫌いなんて人生を半分損している” のような発言だ
このように、人間は価値観に合わないものを認めない心理が働き、それを否定してしまう
それならば、自分と相手をしっかり切り離し、自分の価値観と相手の価値観の両方を認めることはできないだろうか?
自分の 気持ちに素直 になりつつも、 相手の意図 をすくい上げれば
自分も相手も嫌な気分にはならないはずです!!
自分と相手の違いをしっかりと認め、お互いに寄り添う関係性をめざし、自分も相手も成長できるようなきっかけを提供しあおう
多様性を認めるには、しっかりと視点を広げることが必須である
自分の価値観と相手の価値観の境界線
立場の上下・メリットの有無に惑わされている人達
最近の世の中は特にそのような傾向が強い
SNSでは、匿名で人を批判することに慣れてしまい、誰かを否定することで自分の優越感を確保し、気分を良くしようとしている人などもいるだろう
他にも、社会において上下関係の特性上 ” 下の者は逆らえない のだから大抵のことは言っても問題ない・どうせ言い返せないだろう” くらいのつもりで、自分の気に入らない部分を相手に知らしめるような発言をする
— 格下の人間への気遣い 記事は↓の画像をクリック —
”自分の好きな物や考え方 = 尊い” が先行し、”自分に合わないもの = 否定するべき” と考えてしまう
あとは、自分さえ良ければいい、他の人は関係ない・知らない・考える必要もないという感覚だろう
実際には自分の好きを押し付けてくる人も存在し、だれかの好きを馬鹿にする人も存在する
誰かへの批判はあなたの余裕のなさを周りに示しているのと同じ
私は “そのような人と人の関わり方” を見てきて、違和感を覚えている
最初の話に戻るが、お酒が楽しく飲める人にとっては正解だし、お酒が飲めない人にとっては不正解だ
“お酒を楽しく飲むことがどれだけ自分の人生に良い影響を与えているのか” を知っているという背景からそんな発言をしている反面、“飲んでも具合が悪くなるだけなら飲まない方が良い” という事実もあるということだ
自分の 正義の押し付け・決めつけ が先行しています
自分と違うのはおかしいという考え方ではいけません
発言した相手は恐らくそれほど気にせず言っているかもしれないが、言われた相手の視点を考えていかなければならない
言われた相手が笑って済ませるような関係性であり、冗談で済むならそれでかまわない
“ 自分の考え方を相手に気持ちよく伝える こと” と “単に相手を批判すること” は全く違うということだ
— 自分を相手に伝える 記事は↓の画像をクリック —
実際に私も嫌なことを言われたことが何回もあるし、それによってその後の行動の仕方を変えてしまったこともある
嫌な発言を受けて、自分の気持ちに素直になれなくなってしまい、その行動をしなかったせいで数年後にとても後悔した
私にもそのような経験があるのだから、おそらくこの記事を見ている人達にも同じような経験はあるだろう
とくに、仕事においての人間関係は権力・上下関係によって待遇が変わってしまうような社会が先行している
具体的に言うと “上司に気に入られないと昇進できない” とか “嫌われているから足を引っ張られる” なんてことも平気で通じる世の中になっている
だから、生活の基盤を維持していく上で様々な我慢を強いられ、それを受け入れて行動に結び付ける必要性もあるのだから、現在は紛れもなくストレス社会だ
そんな状態が続けば精神的に参ってしまうのだから、プライベートなど自分の時間の確保ができるのであれば、少しでも自分自身の精神面に良い影響を与えることが必要だ
そして、自分自身の余裕の獲得に全力を注いで欲しい
もし、あなたの人生に余裕がもたらされた時には、誰かを単に否定するような人間になってはいけない
余裕ができた途端に誰かを見下して優越感に浸る・馬鹿にするような人間は、その相手に精神的な悪影響や人間不信に陥るきっかけを与えてしまうかもしれない
≪ Point ≫
・人間は、さまざまな人に 良くも悪くも影響を与えながら 生きている
・好き嫌いは、必ずしも 自分の気持ちに寄り添った結果 が伴っている
・相手との関係性において、人それぞれに対し 言葉を選ばなければならない
・自分が 素直になれる・応援してくれる 人間関係は、あなたの人生に良い影響を与える
・自分と相手の余裕を増やし、誰かの 成長を後押し する
様々な価値観が存在しても良いという考え方が、それぞれを成長させる
人と違うことは決して悪ではない
日本には多数決という考え方が昔から浸透している
“多数だから正しい・少数は間違いだ” という価値観から私たちはそろそろ卒業しなければならない
正直、好き嫌いに関しても多数・少数はそれなりに関係してくるだろう
例えば、“多くの人が野球を好きなのだから、野球が嫌いなのはおかしい” のような考え方をする人もいる
物事の物差しが人それぞれ違うという背景を考えたとき、ひとりひとりの正解がそこにあると気付ければ、意見の違いに直面した時に単に批判することがどれだけ愚かな行為なのかが分かるはずだ
それは前提として、“人間はひとりひとり違う人間である” と共に、“ひとりひとり違っても良い” という考え方を理解して欲しい
違いは決して悪ではない
“同じである・共感できる” ならば親近感が湧き仲良くなれる一方で、“違いが見つかった” ならば物事の考え方の選択肢が増えたことになり、それを理解できたとき、あなたの視点が広がったことを意味する
力関係やメリットで成り立つ人間関係はその場しのぎでしかない
そして違いの中から何か1つの方針を決めるときは、できるだけ多くの意見を聞き、たくさんの選択肢を推測して、できるだけ多くの人が納得できるような方針を探すべきだ
お互いの妥協点を見つけることも重要になる
今回の場合だと、人間は誰でも好き・嫌いの気持ちを持ち合わせている
だから、その人にとっての好き嫌いがひとりひとりの正解であり、“その人の好き嫌いという特性を誰かが簡単に否定して良いわけではない” という考え方が私の中での正解だ
そして素直に違いを受け入れよう
人間社会においては、必ずしも力関係・権力構造のような縦の人間関係は存在し、それは必要な関係だと私は考えている
否定されやすい人が否定される現実は
権力者の単なる 自己満足 に過ぎません
強いて言えば、強い人間は気分が良くなるだけというメリットしかない一方で、否定された方は想像以上にダメージが大きく、その後の人生にも影響を及ぼす可能性は高い
刃向えないことを分かっていて自分を優先させる だけに、たちが悪い
— 大人にもいじめがある 記事は↓の画像をクリック —
お互いに気遣いできる人間関係を構築・前提としていれば、自分・相手のお互いの特性として好き嫌いを示しやすい関係性を作ることができる
自分の考え方と違っても話をしっかり聞いてくれる人には話しやすい
自分とあなたが違ってもそれは当たり前だと立場を明確に示してくれる人には、あなたは自分の気持ちを打ち明けやすいだろう
相手への気遣いとはそのような行動を示す
そして、そのような人間関係を構築できない相手ならば、あなたは距離を取るべきだ
気持ちよく向き合えない人間関係は必要ない
人間にはどうしても相性がある
全ての人と仲良くできる訳ではないかもしれないが、それでも全ての人に最低限の気遣いは必要だ
なぜならば、人間は全員が同じ船に乗って社会を構築しているからである
≪ Point ≫
・多様性を受け入れるために、できるだけ 多くの視点・考え方 をすくい上げながら納得する
・価値観が似ていれば 仲良く なる、価値観が違えば考え方の 選択肢が増える
・寄り添う気持ち を持って相手を受け入れるために、特性の理解に努める
・相手自身が自分の気持ちを大事にできるように、 気遣いや配慮 をする
自分の好きな気持ちを後押しできるのは自分だけ
みなさんは自分の好きに自信を持っているだろうか?
それを好きな気持ちが大きいけれども、外に向けて発信できるかどうかは別の話だ
というのも、やはりみんなが好きな物事に対しては声を上げやすく、マイナーな物事は声を上げにくいという性質がある
とくに日本は多数が優遇されたり、”常識的に考えて” のような、型にはまった考え方を押し付けてしまうような空気感が今もまだ存在している
”一度、定着してしまった考え方や空気感 = 一般常識” のような物差しはあってもいいとは思うが、それを誰にでも当てはめてしまうことに、私はやはり違和感を覚える
そして何より、”違いを受け入れるほうが断然生きやすい社会に繋がる” ことをどうか理解してみて欲しい
ひとりひとりが最大限成長できるような社会になれば、私たちは 様々な目線で活躍できる集団 になれる
そうすれば、いろいろな問題に対してあらゆる角度から対応できる集団として、より一層発展できるものと期待している
それが ”違いを受け入れる事・多様性を活かすこと” の本質だろう
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